波板とは


宮城県石巻市雄勝町波板地区

太平洋に面している地域で、
震災の影響を大きく受けました。
元々限界集落だった波板は、
震災直後4世帯となりましたが
現在は10世帯23名の住民が暮らしています。
人口減少、高齢化問題を抱えながらも、
「できる人ができる時にできる事をしよう」
というスタンスで住民自らの手で地域づくりを行っています。

波板の小船とは

2011年3月11日に津波により流された"第二勝丸"。
4年間漂流した後、
2015年4月にハワイ州オアフ島で発見されました。
持ち主が探し出され、検疫や許可申請などの様々な困難を乗り越え、
2016年3月11日宮城水産高校の実習船"宮城丸"で
故郷に帰還しました。

小船の奇跡
・船の形を残したままハワイに流れ着いた事
・震災前に進められていた廃船手続きが津波により完了せず、第二勝丸の登録情報が残っていたため持ち主を探し出すことが出来た事
・誰もが諦めかけていた中、実習船"宮城丸"が出航する2日前に、第二勝丸を積むために必要な書類が揃った事
・天候などで航海の予定が狂いやすい中、"3月11日"という日に到着した事

人々の協力と努力
・第二勝丸を発見したハワイ住民の方が持ち主を探し出してくれた事
・日本に帰還するまでの間、雨風をしのぐ場所で第二勝丸を保管してくれた事
・宮城丸は貨物船ではないため、船を積むために許可を得たり、埠頭を変更してくれた事

ここで紹介できるのはごく一部ですが、このように国内外の人が協力し合い、第二勝丸はたくさんの思いと希望を乗せて帰還を果たしました。
震災の記憶と、世界で助け合うことの大切さを伝える「もの言わぬ語り部」として波板で大事に保存されています。 

地区会の活動と想い

2014年波板地域交流センターが完成しました。
住民にとっては集会所、イベント開催場所などとしての役割を持ち、ボランティア団体や近隣地域の住民利用者にとっては宿泊所や住民との交流の場などとして機能しています。
また特産品である玄昌石(波板石)を加工するための機械が置かれた工房も備わっていて、工芸品を作り販売を行っています。
手作りの商品は思い入れが強く、例えば幅広い世代に人気のペンダントの貝殻の装飾は、かつてお花見をしていた(津波により流された)桜をイメージしているそうです。
そして販売のための製作だけではなく、外部の人に向けたワークショップなどのイベントも行っています。

地域について記録された資料は津波により流失してしまいました。
遺構として残せるものすら無くなってしまった波板に希望をもたらした第二勝丸と共に、
人々の記憶に残るまちとなるよう、地区会では日々地域づくりに勤しんでいます。

  • 波板地域交流センター

  • 波板石のペンダント

  • 波板石で装飾された防潮堤

powered by crayon(クレヨン)